心と身体、生き方の総合気療 東京都荒川区の気功治療院
一義流気功治療院

健康へ導く知恵

身体こそが最高の名医

身体の仕組み全ては、解明できない

辛い症状が何故あるのか? どのような経過で今困っている病気になったのか? それを頭で完全に把握するのは不可能です。 いくら医学が発達したとはいえ、身体の統合的な仕組みについては、まだまだ解明できたというレベルではありません。陰陽五行、気の概念が存在する東洋医学 と組み合わせても、人間の心と身体は到底解らない部分だらけです。
西洋医学に限らず多くの民間療法であっても同様なのですが、多くの療法・治療法において、解剖学など客観的に解明された範囲内で治療は行われます。つ まりそれは、理論に合わない症状については、簡単にお手上げになってしまうという限界を意味します。人間の心と身体は、単純さと複雑さを併せ持つ、理解に困難 な対象です。

身体は自分を知っている

しかし人間の身体そのものは、自分自身をよく知っています。現代科学その他で解明されている部分は勿論、 未だ人間の英知が及んでいない深く広大な部分であっても、当然認識をしています。それら全てが統合的に機能して、人間は活動を行っています。
例えば何か病気になった時にも、身体はそ の経過をずっと見てきています。どうすれば治るのかも、解っています。だからこそ、自然治癒力が働けます。しかし充分に自然治癒力を発揮できる状況が整って いなければ、病気を治せません。

 

身体こそが最高の名医

一義流気功では、身体こそが最高の名医であるという立場を基本にしています。自らの状態を熟知した身体自身が、病気 を治す技術(メカニズム)を持っているのです。これ以上優秀な名医が、果たして他に存在するでしょうか。
この名医は、複雑な身体に起こる様々な事態に対応し、常に健康な状態を維持させようと働いています。毒物・不要物は無毒化や排出を行い、損傷は修繕され ます。発熱や咳、痛みなどの症状の多くは、実は身体がより良い状 態であろうとする手段か、その働きに伴うものです。病気の多くも、同様です。浅知恵で名医の仕事を邪魔しない。これが現代医療にとって大きな課題になっています。 その措置が本当に身体の助けとなる必要なものか、働きを阻害するものであるのか、真偽の判断は困難です。ただ医療現場の多くは、この自然治癒力を過小評価して 判断を下しています。

この名医も、日々の生活の中で傷めつけられていくと、思うように働けなくなってしまいます。排毒や修復が充分に行えなくなり、やがて何らかの 重篤な病気や症状に追い込まれるリスクが高まります。

身体は良くなりたがっている

苦しい症状や病気を治したい。改善させたいと願うのは、身体自身も同様です。健康が嫌で、具合が悪いのではありません。何らかの事情があって、自然治癒力を働かせられないのです。身体はそれでも、機能しない悪い状況なりに、精一杯に頑張ります。けれど機能が落ちてい る状態では、健康の維持が困難になります。
気の流れが悪い、自律神経が乱れている、呼吸が浅い、体内毒素が溜まっている、組織が冷えているなど、機能を妨げる要因は様々です。どれか一つでも改善されたなら、その分だけ身体は自然治癒力 を向上させられます。それら要因が必要充分に改善されたなら、身体は時として医学の常識を超えた働きを成し遂げます。身体という名医は、与えられた環境なりに、 常に出来る最大限の働きをしてくれます。私もその姿には、何度も驚かされています。

名医 = 生存本能 = 潜在意識の中の運営係

人間が持つ自然治癒力は、より健康な状態で寿命を全うしたいという、生存本能の領域によって意図されています。つまり潜在意識の領域で身体は運営されているのですが、潜在意識にも深さの段階があります。
生存本能に根ざした活動は、潜在意識の深い部分で運営されています。私はこの部分を、運営係と呼びます。運営係は身体と心、自分自身についての情報を全て把握しています。けれど残念ながら、その勢力には限界があります。与えられた環境なりにしか、働けないのです。上記したように、運営係を困らせる要因は様々です。

名医が活躍できる環境を

では最高の名医である運営係を蘇らせるには、どうすれば良いのでしょうか? まず一つには、生活習慣全体を見直し、生命活動を行う上で有利な環境を整えてあげる事です。ここまでは自明の理です。

そして次に、気功療法と運営係との関係をご説明します。運営係は単独でも働けますが、表面上の意識と一致した時に、より大きな働きが出来ます。この意識は本人自身でなくても構いません。気功療法を行う施術者の意識であっても同様で、協調できる性質があります。私は専門家ですから、勿論、より精確な心と身体についての認識を持っています。その意識と患者さんの運営係が協調する事で、患者さんの運営係が普段では行えない大きな仕事が出来るようになります。また私自身の中にも、運営係があります。運営係と運営係との間でも、同時に協調関係が成立します。私の中の生存本能には、患者さんをより良く生存させようとするものも含まれます。生存本能とは個人さえ生き延びれば良いというものではなく、他人や人類全般にまで及ぶものです。ですから私の施術中では、表面上の意識も潜在意識も、全存在を賭けて患者さんをより良くしていこうと働いているわけです。

気功は薬ではありません。薬の本来の目的は、自然治癒力(運営係の意図する働き)が発揮できない部分について、影響を及ぼして身体を改善に導く事です。しかし薬を処方する人間は知識の上でも完璧ではなく、身体の自然治癒力と対立してしまう場面も多く発生します。効いているように見えるのは見せかけだけで、その実は、患者さんの身体が治ろうとするのを邪魔する毒にしかなっていないケースも多いのです。O157で下痢止めの薬を使用した患者さんが、毒が出せず、重篤化や死亡に至った例はその最たるものです。ですが本当に自然治癒力ではどうにもならない問題に対して、薬という外部の力添えが有効なケースでは、死ぬ運命であったその人の命を救う事もあります。
気功療法も誤った知識やイメージによって思い込みの施術をしてしまえば、不幸なケースでの薬と同様、運営係と対立構造を招いてしまいます。それは益にならないで済めば良いのですが、場合によっては有害ですらあります。ですが一義流気功による施術であれば、運営係とは常に良好な協調関係が保たれるため、患者さんの心身に害を及ぼす心配は全くありません。またその良好な協調関係が崩れてしまうケースもありません。患者さんの心身にとって、必ず、より良い影響として効果が及んでいきます。

適切な気功療法を受けた身体は、今まで妨げられてきた自然治癒力を蘇らせ、急速に身体を修復します。

殆どあらゆる状況に対して効果が及ぶのは、このような背景があるからです。