心と身体、生き方の総合気療 東京都荒川区の気功治療院
一義流気功治療院

健康へ導く知恵

心身を蝕む体内毒素

体内毒素とは何か?

体内毒素は、身体の毒と心の毒に大きく分けられます。体内毒素であるのに、心の毒に違和感があると思いますが、この場合の体は心を含みます。身体と心に明確な境界線はなく、毒素も見えない気によって身体→心、心→身体へと流れ得るものでもあります。

身体の毒素

身体の毒素のの入り口は、飲食、呼吸、皮膚などです。

【飲食】
飲食によって取り込まれる毒素は、考え方に注意が必要です。フグやトリカブトといった毒性の強い物、残留農薬、有害な添加物、発ガン性物質などは、非常に理解し易いと思います。添加物については様々な種類があり、一律に有害であるとは言えません。また仮に有害であっても、それぞれが安全基準をクリアしてきていますから、何か事故がない限りは単独で明確に身体に害を及ぼすには至りません。しかし複数の有害な添加物を常時摂取し続ける弊害については、年単位で考えていく必要があります。またそれら添加物が表面上では無害であるのは、肝臓によって解毒処理されるためです。肝臓に負荷をかけ過ぎれば、肝機能自体が低下します。体内毒素は内臓と脂肪に溜まる傾向があるのですが、肝臓そのものにも、毒が溜まる結果になります。添加物の個別の毒性や危険性については、書籍やWEB上でも言及されています。WEB上でしたら、「添加物 毒性」「添加物 危険性」で検索され、参考にされるのも良いと思います。
また一般的に毒性がないと判断されている物であっても、場合によっては毒になり得ます。単なる水でさえ、過剰に摂取し過ぎれば、身体に害を及ぼします。東洋医学では水毒と呼ばれます。一時期、一日に二リットルの水を飲む健康法、美容法が流行しました。綺麗な水は身体を浄化させるという発想です。確かに間違いではありません。実際にそれで体調が良くなったり、肌の色艶が良くなった例も出ています。けれど水の排出が上手くいかない身体では、余分な水を体内に溜め込んでしまう形になり、冷えに繋がっていきます。冷えは身体にとって大敵です。これは食事量でも同じ事が言えます。消化吸収に持て余すような量を食べてしまえば、それは最早身体にとっては毒物です。消化器にかけた過度の負担から、体調不良に結びつくケースも多くあります。

飲食による体内毒素の蓄積には、質の問題と同様に量の問題を認識するべきです。有害な物質であっても、本当に少量であれば許容範囲に収まります。問題にはなりません。健康に良いとされる自然食であっても、単なる水であっても、大量に摂取して持て余せば、健康を害してしまいます。勿論、有害な物を大量に摂取し続けるのは最も問題とすべきで、ハンバーガーやコンビニ弁当ばかりの食生活は、早々に切り替えるべきでしょう。また個人差はありますが、植物性の物よりも、動物性の物の方が身体にとって負担になり、毒になり易い傾向にあります。牛や豚などの獣肉、乳製品は嗜好品として考え、大量には食べないようにします。鳥や魚介類は比較すれば負担は少なくなりますが、これも毎食では多いです。人間の身体にとって最善のバランスは、植物性の物を中心とした栄養バランスに優れたメニューに、動物性は食べても週に1・2回程度にしておくのが理想です。

【呼吸】
工場や車の排ガス、揮発性の化学物質、タバコの煙、細菌、ウイルスなど。呼吸によって取り込まれ得る毒は、数え上げれば多岐に渡ります。排ガスに耐えられない個人であれば、空気の良い場所に住環境を移すしかありません。シックハウス症候群などは、小まめな部屋の換気だけでも、通常はかなり対応できます。都市部や工業地帯、周囲に喫煙者が多いなど、生活の場では汚染された空気の環境は避けられない現実問題もあります。
個人差がありますが、人間はある程度なら汚染された空気の中でも、解毒・排毒機能がありますから、生きていけます。食生活と違って、空気汚染の問題は、避けるには生活空間自体を変える大きな転換が必要な場合もあり、それは良いとは解っていても現実的な提案ではありません。生活空間をそのままに、空気清浄機や分煙など、改善できる範囲は改善をしていきます。その中で解毒・排毒機能を活性化させる方向性の取り組みが、多くの人にとって現実的ではないかと考えます。

【皮膚】
経皮毒については、賛否両論です。勉強されている方も、どちらを信じれば良いのかと迷われているかもしれません。私の考え方では、こうです。皮膚は有害物質に対して、防御壁の役割があります。しかし完全では有り得ません。想定された自然界に存在するものと、想定外の化学物質とは、分けて考えなければいけません。経皮毒は嘘だという極端な意見もありますが、逆に皮膚の防御壁としての機能を過信しています。一回で明確に検知できるような有害物質の摂取は、怖くないのです。当然実験で明らかになりますから、製品化されません。検知が及ばない微量なレベルでの蓄積、科学的に特定されない物質などについても、ある程度の警戒は必要ではないでしょうか。不安を煽り、行政処分を受けるような業者を妄信する必要性はありませんが、出来るだけ自然に近い成分の物を使用していく方が安全です。
また経皮毒に分類されるか否かは判りませんが、化学繊維も身体には毒になります。直積肌に触れないように、選択された方が良いでしょう。女性がナプキンを布製の物に変えただけで、生理不順や生理痛が改善されたという報告も多くあります。また私自身の体感でも、化学繊維を肌に触れさせるのは、かなりストレスに感じます。

心の毒素

心の毒素は、入ってくるというよりも、自分自身で作り出している側面の方が大きいものです。例えば、仕事が忙しい、生活が苦しいなど、状況が同じであっても、その時々の気持ちの持ち方次第で心に毒が溜まる事もあれば、そうでない時もあります。またストレスを受けてもそれを上手に発散できれば、そのストレスは生活の潤いです。ストレスがあるから、解放の喜びもあります。けれどストレス発散が出来ずに溜まってしまえば、それが毒となり精神を蝕みます。

心の毒の中で最も有害性が強いものは、良心の呵責です。人間の本質は善です。善と悪という概念が誕生した事そのものが、人間の本質が善性であると証明しています。好ましいと感じるものを善、好ましくないと感じるものを悪としたのですから、悪は忌み嫌う対象なのです。但し人間には欲がありますから、必ずしも善を優先には出来ません。その時に人間はストレスを感じます。悪い事をしているという認識がその人の心を蝕み、そこから転換しなければ、やがては人間性を歪めてしまいます。真っ直ぐな人間でいるよりも、歪んだ人間であった方が、良心の悲鳴から目を背けられるからです。欲はほどほどに正しく生きようとしている人、他人を踏みつけても自分の欲ばかりを追いかける人。比較すれば、前者の方がよほど幸福そうに見えませんか? 後者のように生きていれば、人間の本質的な善の欲求が満たされません。良心があげる悲鳴から目を背けようとも、それは心の毒から逃げられる事を意味しません。心の毒を解消させる機会を失っただけです。蓄積された心の毒は、やがて人間性自体を歪めていきます。精神が歪めば、その歪みは身体に転嫁されます。身体機能も歪んでしまうのです。
劣等感や虚栄心といったものも、心の毒になります。これらも人間の正常な心の一部ですから、それ自体は必ずしも有害ではありません。行き過ぎたものが、心の毒となります。おかしな言い方かもしれませんが適度な劣等感は、自分を高める努力の原動力になります。劣等感を持つ理由は、自分が生き抜いていくためです。劣っているのにそれを何も感じなければ、生存競争ではあっという間に淘汰されてしまいます。けれど劣等感も過ぎると、現実に目を背けるようになります。他者を不当に見下してみたり、居心地の良い幻想世界を作り出すようになります。本来は心を活性化させる劣等感に、蝕まれてしまうのです。虚栄心は自分自身をより良く見せたいという、誰にでもあるような感情です。これは社会の中で有利なポジションで生きていくためのものですが、あまりに実体から遠ざかる虚栄心を持ってしまうと、そのギャップに苦しめられます。また劣等感とセットになった虚栄心は、根が深いものです。
イライラとするのも心の毒としてよく言われます。けれどイライラ自体が毒なのではありません。ストレスを感じた時に、それを嫌だと拒絶する反応がイライラです。悲しみも心の浄化作用として起こりますし、心の毒と、それを回避したり解消させたりする心の反応とは、分けて考えていく必要性があります。

大きくまとめると、心の毒素とは、持て余された心の動きそのものです。

良心の呵責について、詳しくは「正しいが、楽な生き方」 を、
怒りや悲しみの効用については、「心の健康」 をご参照ください。