心の自然治癒力とは何か? 身体の傷が自然と消えて治るように、心の傷も自然回復します。身体の自然治癒力は、日常的に起こっている問題に常に対処し、身体を健康な状態に維持します。心の自然治癒力であっても、それは同様です。時として受ける大きな傷は集中的に治癒させようとし、細かい問題については、微調整の連続です。
狭義の意味 と 広義の意味
心の自然治癒力を、大きく二つに分けて考えていきます。
① 心の損傷を回復させる、狭義の意味
② 心をあるべき姿に導いていく、広義の意味
まず始めに、①の損傷を回復させる狭義の意味です。誰かに裏切られた、自尊心が傷つけられた、恐怖に脅えた、失恋をした、など、人間の心を損傷させる原因は様々です。
傷ついた今日、明日は辛くても、一週間も経過すれば、大抵は同じ辛さではありません。月単位、年単位の時間があれば、殆どの傷は回復しています。その回復具合によって、問題との向き合い方が変わってきます。その事がまた、回復の次の段階への土台となっていきます。追体験や思考と相互関係を結びながら、心は自然治癒力を発揮させるのです。
いくら考えても考えても解決しない心の傷の問題が、気が付いたら軽くなっている。こんな経験は、どなたでも記憶に残っていると思います。本人が認知できない潜在意識の領域でも、心は活発に動いています。時間が経過することで、心は自然と癒されていくのです。そのメカニズムが、心には生まれながらにして備わっており、本人の意図とは無関係に働き続けています。
②の心をあるべき姿に導いていく、広義の意味は、少し解り難いかもしれません。これには、多くの側面があります。例えば仕事や生活が単調で刺激がない時に、趣味や娯楽作品の中で、刺激を求めるケースがあります。スポーツであったり、ギャンブルであったり、アクション映画であったり、その手段は様々です。逆に普段が忙し過ぎる人は、ゆったりとした時間を求めます。心は活動と休息とのバランスを求めるため、偏りが生じた時に、欲求という形で反対のものを求めるのです。このバランスの取り方には、個人差があります。
また人間の精神的な成長や成熟の仕方も、大きな側面でしょう。人間は状況や年齢に応じて、必要な成長や成熟を遂げていきます。ところが依存心や劣等感、自信のなさ、無気力などによって、それが阻害されてしまうケースがあります。結果として、例えば、年齢の割に幼い、結婚して家庭を持っても相応の自覚や責任感が持てない、といった様子を見せるようになります。自分は駄目だと思い込んでいた人間が、大きな仕事を成し遂げたなど、自信を持てる切っ掛けがあったとします。心はその刺激を受け、あるべき姿への成長を促します。それまでの幼さ、頼りなさはどこに行ったのか、堂々とした風格さえ漂わせます。こんな成長は、決して珍しくありません。元来、その人には成長できるだけの素地があったのです。それまでにも、培った経験や見聞、勉強、葛藤などが積み重ねられていました。急に何もかもが変わるわけではありません。自信のなさという足枷がはずれた時に、心はその人があるべき姿に、一気に成長させたという訳です。
その人が本来あるべき心の姿とは、日々の健全な精神状態から、大きな目で見た成長や成熟の段階に至るまで、広く深い意味合いのものです。
心のバランスを保つ手段
心は面白いもので、バランスを取るために、遅れた成長や成熟を取り戻すために、欲求という形でサインを送ります。どの映画を観ようかと選択する時に、恋愛映画とハードボイルドアクションとでは、その潜在的な状況は必ず違います。食べる物の選択、着る物の選択、何となく止まったテレビのチャンネルなど、意識的な行動、無意識的な行動の多くに、心を調整するための要素が組み込まれています。就職や転職、カルチャースクールなども、やはり同様です。
またバランスを保つ手段として、夢の存在は無視できません。覚えている夢は一部で、殆どの夢は記憶に残らないとされています。私達は寝ている時に、膨大な数の夢を見続けています。フロイトやユングが夢を精神分析に用いたように、夢は本人が自覚できない無意識の領域が溢れ出てくる場所です。夢は現実ではありませんが、心にとっては、現実そのものです。そこに込められた象徴性が、時として心を癒し、または刺激し、バランスを取っているのです。
自然体であること
心の自然治癒力を発揮させるための土台として、自然体である事が重要です。強い固定観念に縛られず、気負いもなく、あるがままの本来の自分でいる事です。それらは、心の多様性や弾力性を損ない、機能不全に陥らせます。
また素直に喜んだり悲しんだり、過度に感情を抑圧しません。感情が抑圧された状態では、心が硬直化し、自然治癒のステップを踏めなくなるのです。だからと言って、子供のように感情任せで良いという訳でもありません。それはまた、別の姿です。心は活発に動きながら、分別を守れる姿が良いのです。感情は豊かでも、それに振り回されすぎないという状態です。これも精神のバランスの一つです。
自然体である事は、口で言う程には簡単ではありません。自然体=歪みのない状態 ですが、人間にとって歪みは、心を守るための鎧なのです。心を歪ませる事で、世の中の不条理や自分自身の心の問題に対応している部分が強くあります。
感情を殺して生きれば、確かに傷つかずに済みます。けれど生きる喜びも感じられなくなっては、本末転倒です。誰かを見下せば、ある種の自尊心は保たれます。けれど他人を見下している自分の姿を、好きになれるでしょうか。有るがままの自分を受け入れれば、他人を見下す必要がないと気付きます。 歪まずにいるためには、自身が強くなければなりません。強くなるためには、自分自身の有りのままの姿を受け入れ、執着や拘(こだわ)りを捨て去る事です。実体のないものを守ろうとするから、人間は弱くなるのです。
経絡 と チャクラ
経絡(気の流れ道)、チャクラの正常な働きも、決して無視できません。いくら思考で前に進もうとしても、経絡やチャクラ上での制約を受けていては、思うようにはいきません。例えば、腎経が酷く乱れている状態での思考は、悲観的な方向に誘導されていきます。肝経が乱れている状況では、イライラして冷静になれない。チャクラ2番が乱れていては、バイタリティが出ない。といった影響が出ます。 問題によっては、物事を考えて整理していく過程が必要な場合も多くあります。しかしその前提として、経絡やチャクラがしっかりと働いていないと、なかなか良い方向にはなりません。そしてこれらの働きが正常であれば、潜在下での心の自然治癒力も、存分に発揮できるのです。 私も以前、心が押し潰されそうな問題に直面しました。その時に、半身浴によって経絡の流れを良くした状態で、10時間以上も出なかった経験があります。心の活動(自然治癒力)が向上してくれているので、思考を重ねるのは同じでも、短時間で前に進めたのです。今でも心に何かが溜まったと感じると、半身浴を長めにします。潜在的な部分で正体は判らないのですが、心はスッキリと復活します。それでも足りない状況では、必要な施術を組み合わせています。明らかに自分に何かが起こって判っている場合でも、取り組み方は同様です。
それぞれの経絡、チャクラとの関係については、身体と心は繋がっている チャクラ理論から をご参照ください。