一義流という理念
一義流気功とは、私、小池義孝が抱く気功、気功療法の概念と理念を集約させた言葉です。義とは「道徳・倫理にかなっていること」を意味します。一とは最小単位を表すと同時に、全体を表します。一つの道徳・倫理にかなった事は、世の中全体に広がっていく。その流れを生み出す源流であれ。という誓いが込められています。
あらゆる言動は、その影響を波紋のように広げていきます。絶え間なく生まれる無数の波紋が、相互に影響を及ぼし合い続ける。これが世の中の姿です。良い波紋は次の良い波紋を生み出します。悪い波紋はその逆です。 私が直接起こせる波紋は、人間の心身をより健康な状態に導いていく事です。健康になった人が、例えばそれで良い仕事が出来る、心が穏やかになって他人に優しくできる、こんな連鎖が起こってくれれば、何よりの幸せです。また例えば、良い仕事は社会をより良くし、そこを土台にして、更に次の波紋が起こります。優しさは優しさに繋がっていきます。起こした波紋は、世の中に溶け込んで見えなくなりますが、決して消えてなくなりはしません。
私も誰かが生み出した無数の波紋の中にいます。私から生み出された波紋もまた、次の新しい波紋を生み出す礎となります。その自覚があるから、この名前です。
気功療法の考え方
「手から気が出ているんですか?」 施術中に、よくこう質問されます。その度に私は、どう説明すれば理解し易いのかと迷いながら、こう答えています。
手から気が出ているというよりも、人と人とが関わり合えば、必ず気と気とが交流します。その中に心身を整え、改善させる力が自働的に含まれるんです。
解ったような、解らないような、微妙なお顔をされ、この話題は終わります。
私もアマチュア時代には、手から気を出して、それを相手の身体に作用させるスタイルを取っていました。所謂、気を入れるというやり方です。おそらく、殆どの気功療法の現場では、これが主流になっています。
けれど今は、スタイルが異なります。私は外気功による施術を、全人的な気の交流の一形態、一側面として捉えています。気は出さずとも交流するもの。気療現場では、施術者、患者という関係は、潜在的にも双方で了解されています。その関係性が、交流の質を作り上げます。あくまでも結果として、施術効果は生み出されます。小手先の外気功ではなく、存在と存在との関わり合いです。
出された気の交流と比較して、それは豊かで活発で、実に機微に富んだものとなります。だからこそ、その交流を全人的とまで表現できるのです。
悪循環を断ち切り、正の連鎖へ
人間は誰しも、潜在的には健康な状態であろうと欲求しています。しかし心身の歯車が狂ってしまった結果、健康な状態を維持できません。そして大きく歪んでしまった姿が、重篤な病や辛い症状です。
一義流気功では、心身が本来あるべき自律回復力を健全化させ、狂った歯車を合わせ直します。殆ど多くの病は、心身の機能を落とす悪循環が進んでしまった結果ですから、この悪循環を断ち切り、身体を正常な状態に導きます。自然治癒は連鎖という形で起こります。病や症状からの回復は、その連鎖の過程で必然的に訪れるものです。
また表面的な技術がいくら優れていても、充分とは言えません。そこに真摯な心があって始めて、気療は人を活かすものに成り得るのだと考えています。