自信がない人、必見!自信をつける意外な方法とは?

精神問題

自信が持てなくて、前向きな行動を起こせない。そのせいでチャンスをつかめず、損な人生を送っている……。そんな自覚のある人は、この記事を絶対に読んでください。

自信がない」とは何か?自信の正体を知ろう!

そもそも、自信とは何か?です。自信がある・ないという話はよく見聞きしますが、いざ「自信とは何か?」と問われると、多くの人が咄嗟には答えられないと思います。当たり前のものとして、何となく理解が不明瞭なまま認識し続けている。これが多くの人にとっての『自信』という概念です。

自信とは、自分の能力・価値の想定

辞書では、『[名](スル)自分で自分の能力や価値などを信じること。自分の考え方や行動が正しいと信じて疑わないこと。「—を失う」「—満々」』とあります。そしてそこに、『信じる』の深堀りを加えます。信じるとは、想定の程度を示す言葉です。不確定だけれど、〇〇であろう、〇〇になるであろう、と強く想定している状態です。

端的に「自信がある」と表現した場合、それは能力や価値を指します。つまり自信とは、「自分には能力がある(価値がある)と、強く想定している」ことを意味します。

自信がない状態とは?

すると必然的に、「自信がない」とは、「自分には能力がない(価値がない)と想定している」ことを意味します。

自信の程度はグラデーション

感覚的な可能性・見込みを50%を中心にして、そこから上がれば上がるほど「自信がある」。下がれば下がるほど「自信がない」という捉え方が、とりあえずはシンプルで分かり易いです。

ただどのパーセンテージを自信のある・なしに振り分けるかは、性格や状況によって異なります。仮に80%だったとしても、絶対に大丈夫かという見方では「自信がない」になりますし、絶対に不可能と思われたところから30%まで上がってきたなら「少し、自信がある」という表現になります。

最終的には、客観的な評価とのギャップ

自信のある・なしは、最終的には客観的な評価とのギャップで見るべきです。可能性が90%と高いのに、本人は20%と低く評価している。この場合には、ネガティブな意味での「自信がない」という評価が正しいです。可能性が20%のところ、本人の評価も20%であったら、その「自信がない」は妥当です。当たり前の話ですが、問題なのは不当に低く見積もった自信のなさです。

自信がない人は、なぜ自分を低く見積もるのか?

自信がない状態とは、客観的な可能性に反して、自分を低く見積もることだと解りました。それでは何故、彼らは不当に自分を低く見るのでしょうか?その何故の部分に、この問題を改善する糸口があります。

経験の偏り

サイコロを振って試してみるとよく解るのですが、出目には偏りがあります。奇数と偶数は二分の一ですが、10回連続で偶数、10回連続で奇数というのは、意外にも珍しい現象ではありません。ただ数多く振れば、そうした確率の偏りはなくなり二分の一に近づきます。100回振れば、45%~55%の誤差5%に収まります。誤差2%に収めるには、これが625回になります。

人生の大事なイベントを考えてみます。基準を、高校受験以上にします。大学受験、就職、起業、結婚、大きな金額の投資など、いくつか思い浮かびます。普通の人生であれば、人生全体で10回程度ではないでしょうか。これくらいの回数だと、結果の偏りはあって当たり前です。

三分の二の確率で成功するものを5回、行ったとします。5回中4回失敗する確率は、32.9%です。5回全て失敗する確率は0.4%とさすがに極めて少数になりますが、4回の失敗くらいの人は結構なボリュームです。この経験の偏りのある人は、「分の良い勝負のはずなのにいつも負ける」と感じているでしょう。そして次も、成功するイメージよりも失敗するイメージの方が強くなって当たり前です。ということは、人生の大事なイベントで分の良い勝負をしているにも関わらず、負け続けている人が三割以上も存在している計算になります。

これを四分の三とさらに分を良くすると、5回中4回を失敗する確率は1%台まで下がります。ただ100人に一人ですから、絶対に有り得ないという程の珍しさでもありません。

一回の強烈な失敗経験

9割の確率で成功するものも、10回に一回は失敗します。人生の重大な局面でその一回を引いてしまえば、その衝撃は凄まじいものになります。

例えば、ほぼ絶対に大丈夫と考えられていた高校受験に失敗し、そこで自信喪失。以降、自信を回復させる機会もなくズルズルと年齢を重ねていく人などは、イメージしやすいかと思います。

幼少期に受けた教育

日本の教育は、マイナスをなくす方向性に偏りがちです。結果として、褒められるより、注意され叱られる方が多くなる。近年ではかなり見直されていますが、価値観や考え方が変わって行動まで更新されるのは、まだもう少し先の話でしょう。

すると当然、子供の自信は育ちません。ポジティブよりネガティブが大きくなり、そのネガティブに偏った配分で自己評価を行う。出来る理由よりも、出来ない理由の方に焦点が合います。

勿論、親も先生も、そんな自信喪失の人間を育てようとした訳ではありません。意識の高い向上心を持ち、奢り高ぶらない謙虚な人間になって欲しいとした結果ではあります。

愛情のチャージ不足

受けた愛情は、自信の基礎力になります。愛情を受け、潜在意識にチャージされるほど「自分は価値ある存在である」という認識が強まります。そこには、能力、才能、ステータスなどの理由は必要ありません。ただ自分という存在だけで、「価値がある」があります。どれだけ失敗して挫折しようとも、モラハラやパワハラなどで否定されようとも、チャージされた愛情を根拠にして自己否定は崩されません。だからこれが、自信の基礎力として機能します。

愛情チャージは、幼少期5才くらいまでの期間で行われます。これ以降は、どれほどの愛情を注がれてもチャージされません。

一義流気功では、「自信のなさ」にどう対応するのか?

それでは一義流気功では、「自信のなさ」に対してどう対応するのでしょうか?そこには、精神的苦痛、愛情の欠乏への合理的な取り組みがあります。

失敗、挫折のトラウマを抜く

失敗、挫折には精神的苦痛が伴います。それによって人の理性はぼやけ、判断力に狂いが生じます。

人の心には、防衛機能が備わっています。強い精神的苦痛が生じた際、認識力と思考力を麻痺させて衝撃を緩和させます。大きな精神的ショックを受けた人が呆然と立ち尽くす様子は、想像に易しいと思います。貴方自身も、何度かは、ショックを受けて頭がぼやけるような感覚になった経験があると思います。

それが後々に残ったものを、一般的にはトラウマと表現します。トラウマ領域では、似たような状況になると、心が過敏に反応して苦痛を生み出します。そこでまた、防衛機能を発動して知性を麻痺させます。知性を発揮できない領域が増えるほど、認識も判断も狂わされ、合理性を損ねます。結果、可能性の薄い無謀なチャレンジをしてしまう。行動すべきところで決断できない。どうせ次も失敗すると根拠もなく思い込む。など、次の失敗を招いてしまうのです。

一義流気功では、トラウマ領域から精神的苦痛を抜き、理性のぼやけをクリアにします。認識と思考を正常化させ、合理性を獲得します。

ネガティブな刷り込みを修正させる

トラウマに関係なく、刷り込まれた思い込みがあります。例えば、「自分は能力が低い」、「自分の努力は、実を結ばない」、「頑張ったら、逆に良くないことが起こる」といった不合理な思考回路が形成されていると、自分ではどうにもなりません。合理的な思考でカウンターを当てて否定はできますが、思考回路は消せないのです。

合理的な思考で否定できるなら、それで良いのでは?と思われた人もいるでしょうが、これは比喩すると足枷のような存在です。足枷を履かせられていても、その重さ以上の力を出せば前進はできます。けれども足枷がなければ、同じ力ならもっとパワフルに動けていたはずです。またいつも、大事な場面で力を出せるとは限りません。不安や疲労があれば、足枷の重さに負けてしまいます。

またそもそも、足枷の重さもポジティブな力も、人それぞれです。合理的な思考で打ち勝とうとする人もいれば、足枷の重さに負けて動けない人もいます。

この不合理な思考回路、ネガティブな刷り込みを解除すれば、無用の足枷が外れます。

『愛05』、幼少期の愛情チャージを満タンにする

愛05は、一義流気功を代表する治療の一つです。幼少期、およそ5才までにチャージされなかった愛情を最大限に満たし、これ以上は増えない飽和状態にします。するとチャージの少なかった人は、何の理由もなくただ自分というだけで、自然と自分に価値があると認識するようになります。これが、強固な自己肯定力の基盤になります。

ここで満たされるのは、自分の存在価値です。これは対人関係において、強力な自信の源になります。自分という存在に価値を感じていない人は、他人からも価値がないと思い込んでいます。というよりも、自分に価値を感じてくれる感覚が理解できません。逆に、自分の価値を高く感じていれば、それが普遍的な評価だと思っています。コミュニケーションを通じて関係を深めていけば、他人から見て自分は価値ある存在になって当たり前という感覚になります。

またその土台は、他人に価値を見出しもします。愛05チャージが高い同士がコミュニケーションを取って関係を深めると、自然と一体感が生じ、価値を感じ合う関係になります。

潜在意識から、必要な情報を引き出す

潜在意識は、自分の内心を詳細に把握しています。まず自分自身が、実害を伴うレベルで不当に自信がない状態か否か、その判断から行います。自信満々の強烈なポジティブな人と自分を比較して、自分は自信がなくて後ろ向きだと認識している人もいます。

「自信がない」状態だった時、その背景を明らかにします。トラウマで理性がぼやかされているのか、経験が偏っているのか、刷り込みがあるのか、愛情チャージが少ないのか、あるいは他の特殊な事情なのか、その内実を明らかにして、治療や意識改革のポイントを明確にさせます。

まとめ、結論

自信とは、自分の能力や価値を信じる心の状態であり、「自分にはできる」「自分には価値がある」と強く想定していることを指します。一方で「自信がない」とは、客観的な可能性に反して自分を低く見積もり、「自分には能力がない」「価値がない」と思い込んでいる状態です。この自信の有無は、経験の偏りや一度の大きな失敗、幼少期の教育や愛情の不足など、さまざまな要因によって形成されます。幼少期に十分な愛情がチャージされなかった場合、自分の存在価値を感じにくくなり、自己肯定感や自信の基礎が弱くなります。

一義流気功では、こうした「自信のなさ」に対して、精神的苦痛や愛情の欠乏に合理的にアプローチします。失敗や挫折によるトラウマを解消し、ネガティブな刷り込みを修正し、さらに「愛05」という手法で幼少期の愛情チャージを満たすことで、自己肯定力と自信の基盤を強化します。これにより、根拠のない自己否定や不合理な思い込みから解放され、自然と自分の価値を認識できるようになります。

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